小さな告白

「あら、こんなとこでどうしたの?」

廊下の窓枠に肘をつき外を眺めていた秀は、声の方へと視線を動かす。そこには幼馴染み兼従兄弟の圭子が立っていた。

「珍しいなー、相沢が放課後にこんなとこでぼけっとしとるなんて。先輩のとこには行かんでええのか?」

そしてもう一人。陽気な口調で話しかけてくる、眼鏡の男。神田とは長い付き合いではないが、今ではすっかり友人として秀達の間に馴染んでいる。

「どうせ喧嘩でしょ? 本と秀って懲りないわねぇ、そんなことしたって結局自分からなつる君に謝っちゃうんだから、するだけ無駄なのに」

「勝手に喧嘩って決め付けるな!」

「じゃあなつる君に叱られた?」

「全然違うっての!」

タイミング良く神田が口を開く。

「もしかして待ってるんか? 相沢先輩のこと」

「……あぁ。兄貴、職員室に呼び出し食らったんだよ。それで俺に教室で待っててくれってさ」

圭子は目を見開いた。

「呼び出しって冗談でしょ? あのなつる君が? 秀じゃなくて?」

あんまりな言われように顔がひきつるが、なんとかやり過ごす。

「呼び出しって言っても、別に兄貴が悪いことしたわけじゃねぇよ。進路希望の用紙、クラスで一人だけ白紙で出したんだと」

「へぇ、意外やな。相沢先輩がそないなことするなんて」

言葉こそ軽いが、神田はかなり驚いていた。

ほんの僅かな期間の付き合いではあっても、神田は神田なりに相沢なつるの人柄というものを把握していた。穏和で争い事を好まない、真面目な性格。だからこそ、教師の手を煩わせるような真似は、彼の望む行動ではないだろう。

彼はそれを切り抜ける術も頭もある。今までだって、彼はそうやって周りの人間の期待にきちんと応えてきた筈だ。

だが今回は、あえてそうしなかったのだろう。

心境の変化。しかしそれが魔獣との戦いと自らの出生の秘密を知ったことが切っ掛けだということは当人に問わずとも察することはできたし、表情を曇らせる秀の様子から、彼がそれに気付いていることも分かった。

一番近くでなつるを見つめ続けひたすら想いを傾けていたのだ、ちょっとした変化にも敏感になれるのだろう。

「ま、相沢先輩って頭ええみたいやし、学校側としては少しでも上の大学を目指してほしいんやないか?」

「そういえばなつる君って、そこら辺の欲って全然ないわねぇ。ここより上の高校に余裕で行けるのに、『家から近いから』なんて簡単に進学決めちゃうんだもん、聞いた時は流石に呆れちゃったわ」

「……想像以上に大物やな、相沢先輩って。そない呑気者とは思わなかったわ」

普段なら、秀が速攻で『兄貴を悪く言うな!』と噛み付いてくる筈なのだが、何故か反論の言葉が聞こえない。

それどころか何故か顔を赤くして、口許を手で抑えている。

「ちょっと、その反応って何なのよ?」

「そうや、何でそこで赤くなるんや?」

「いっ、いちいち詮索してないでさっさと帰れ!」

明らかに動揺する秀に圭子と神田は顔を見合わせ、そして不敵に笑い合う。

「そう言われると却って気になるのが人情ってもんや」

「そうよね~、ちょっとその態度は怪しすぎるんじゃない?」

「だ、だから何でもないって言ってるだろ!」

こういう時の二人は息が合っている。下手に相手をしようものなら、ボロが出るのは明白だ。

逃げるが勝ち。

頭にその言葉が思い浮かんだ瞬間、秀はダッシュで逃げた。

「あっ、ちょっと秀! 逃げるなんて卑怯よ!」

「後で土守にぼこられても知らんからな~」

何で俺が。そうは思っても、九割の確率でどつかれるだろう。圭子に理屈や言い訳は通用しない。神田はそんなおしとやかとは無縁な圭子を気に入っているようだが、一体何が良いのだろう?

なつるのことしか頭にない秀には、一生分からない謎かもしれない。

追求から逃れて階段を降り、一階の職員室の前まで行く。腕時計を観ると、待っていてくれと言われてから五分程度過ぎていた。

廊下の壁に寄りかかりながら、なつるを待つ。

「……絶対言えるわけねぇよ」

実の兄でないことを知ったのは数ヶ月前。しかし血の繋がりを信じて疑わなかった頃から、秀はなつるだけを想っていた。

その気持ちは今も変わらないし、寧ろ強くなっている。

自分の気持ちを伝えてからも、二人の関係は以前と変わらない。変わったとするなら想いを口にするようになったことと、その度に『……知ってるよ』と、困ったようになつるが笑うことだ。

やんわりとした否定なのか静かな肯定なのか。秀には分からなかったが、それでも最近、一つだけ分かったことがある。

自分が考えている以上に、なつるは自分を大事に想ってくれている。

ほんの数日前、何かの会話の拍子に圭子と同じ話題を秀も口にしたのだ。

『そうだよな~、兄貴は『家から近い』って理由で高校決めちまうぐらいだもん、実はかなりの大雑把だよな』

秀の呟きになつるは苦笑した。

『それさ、半分は嘘なんだ』

予想外の台詞に呆気に取られている秀に、なつるはほんのりと頬を染めながら、恥ずかしそうに答えてくれた。

『元々進学先には拘りとかなかったし……あんまりレベルの高い学校に行ったら、秀が僕を追い掛けてこれないかな……って』

『……追い掛けてきて、ほしかったの?』

なつるの頬が益々赤くなる。

『そんなんじゃないよ……』

今の高校よりランクを上げられていたら、秀の成績では合格は不可能に近かった。そんな自分が情けない反面、なつるが自分の為にそこまでしてくれていたという事実は、たまらなく嬉しかった。

衝動的に腕を掴み、抱き寄せていた。

『あの時はそうしたけど、今度はやらないよ。これからの進路は、秀のことは考えないで、僕自身の意志でちゃんと決めるから』

一見すると大人しそうに見えるが、心の芯は強い。自らそう宣言するのなら、なつるはその通りにするのだろう。

『……秀は……それでも追い掛けてきて、くれるんだろ?』

不安げな問い掛けに抱き締める腕の力を強める。

『兄貴が嫌だって言っても、追い掛けるよ。例え何処かに消えたとしても、必ず見付け出すつもりだし』

『何処にも行かないよ、僕は』

穏やかな、けれど何処か儚い微笑みを浮かべる。

『僕の居場所は秀の側にあるって、そう、思ってるから……』

職員室のドアが開く音に、我に返る。

「あれ? 教室で待ってろって……」

「まぁ細かいことはいいじゃん。帰ろうぜ、兄貴」

なつるはそれ以上は問わず、「そうだね」と軽く相槌を打つ。

「……ところで秀、何か嬉しそうだね」

「ん? あぁ、この間のこと思い出しちゃってさ~」

「この間?」

きょとんとした顔で見上げてくるなつるに、耳打ちする。

「兄貴の居場所は俺の側なんだろ?」

「~っ! そんなのさっさと忘れろよ!」

顔を真っ赤にして怒り出すなつるに、秀の表情は緩む一方だ。

あの時の台詞も相当に恥ずかしいようだが、多分なつるはその後のことを思い出しているのだろう。

『僕の居場所は秀の側にあるって、そう、思ってるから……』

ずっと一方的な想いだと信じ込んでいた。
なつるの心が自分に向いてくれる、そんな日はあり得ないのだと。
しかしそれも又、ただの思い込みでしかなかった。

自分達は互いに互いを想い合っている。
抱いている感情が同じであるかは分からなくても、それだけで充分だった。

『……俺なんか、昔からずっとそう思ってたんだぜ……?』
『秀……』
顔を近付けてもなつるは逃げない。

初めて触れた唇は柔らかくて、そして少し熱かった。

「忘れられるわけないだろ? だってあの時、兄貴とキ……」

「うわぁぁっ、それ以上言うな話すな喋るなー!!」

落ち着いた雰囲気のなつるらしからぬ取り乱しように、廊下を歩く生徒達は何事かと好奇の視線を向けてくる。

「兄貴、今更だろー?」

「……後で符術食らわされたくなかったら、それ以上口を開くな」

おっとりしているようで、なつるは短気な面がある。しかしそんな態度を見せてもらえるのは、今のところ秀だけだ。

余りしつこくからかっていると、容赦なく『暗黒の帳』辺りを食らわせてくるだろう。なので仕方なく黙り込む。

機嫌を悪くしたなつるは、無言で昇降口へと歩いていってしまう。その後をついていきながら、秀は小さな声で呟いた。

「そういう怒りっぽい兄貴も、好きだよ」

なつるは歩く足を止めるでもなく、素っ気なく言葉を返してきた。

『知ってるよ』と答えるとばかり思っていた秀は、一瞬耳を疑った。けれど小さく呟かれた台詞は、いつもとは違っていた。

記載日2003年6月21日
新カウンター3万突破有難う記念。本編では曖昧なままの二人の関係なので、そっと幸せにしてみました。



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